早稲田大学に医学部がない理由は、単一の不運というよりは、「歴史的背景」「国の規制」「経済的ハードル」という3つの高い壁が重なり合った結果です。
「早慶」と並び称される慶應義塾大学には医学部があるため、なぜ早稲田にはないのか?という疑問に対し、確証の高い事実をベースに解説します。
日本の私立大学の双璧をなす早稲田大学。政治経済学部をはじめ、多くのトップクラスの学部を擁しながら、唯一と言っていい「欠けているピース」が医学部です。
実は、創設者の大隈重信は医学部の設置を強く望んでいました。それにもかかわらず、なぜ現在まで実現していないのか?その裏側にある「確証の高い3つの理由」を紐解きます。
文部科学省による「医学部新設」の厚い壁
現在、日本で医学部を新設することは、事実上「ほぼ不可能」に近い状態が続いています。
- 医師数の調整: 文部科学省は、医師の過剰供給を防ぐために医学部の定員を厳格に管理しており、1979年の琉球大学医学部設置以降、約30年間にわたり新設を認めてきませんでした。
- 近年の特例: 近年では東北医科薬科大学(震災復興)や国際医療福祉大学(国家戦略特区)が新設されましたが、これらは極めて特殊なケースです。
- 東京という立地: 医師不足が叫ばれる地方ならまだしも、医療資源が集中している東京都内に、これ以上医学部を作る大義名分を国が認める可能性は極めて低いのが現状です。
莫大な設立費用と経営リスク
医学部の設置には、他の学部とは比較にならないほどのコストがかかります。
- 附属病院の義務: 医学部を作るには、教育・実習の場となる「大学病院」の併設が不可欠です。これには数百億〜数千億円規模の建設費と、最新の医療機器を維持する莫大なランニングコストがかかります。
- 赤字リスク: 大学病院は高度な医療を提供する反面、経営的には赤字になりやすく、大学全体の経営を圧迫するリスクを孕んでいます。
- 大隈重信の死: 実は、大隈重信は1920年代に医学部の設置を計画し、寄付金も集まっていました。しかし、1922年に大隈が没したことで推進力を失い、関東大震災による混乱も重なって、計画は頓挫してしまったという歴史的経緯があります。
他大学との「合併」の難しさ
自前で作るのが難しいなら、既存の医科大学を吸収合併する道もあります。早稲田も過去に何度か噂や交渉がありました。
- 東京女子医科大学との関係: 早稲田大学と東京女子医科大学は、大学院レベルで共同大学院を設置するなど、以前から非常に近い関係にあります。一時期は合併の噂も絶えませんでしたが、経営方針の乖離や、女子医大側の伝統・自律性の維持といった観点から、実現には至っていません。
- 日本医科大学などとの噂: 他の単科医大との提携話も浮上したことがありますが、医学部は独自の文化や巨大な組織(医局)を持つため、総合大学への統合は一筋縄ではいきません。
医学部はなくても「医工連携」で勝負する早稲田
医学部という看板こそありませんが、早稲田大学は決して医学を諦めているわけではありません。現在、早稲田は東京女子医大と隣接した施設「TWIns(ツインズ)」を拠点に、理工学部などが医療機器や再生医療の研究を行う「医工連携」で世界トップレベルの成果を上げています。「医者を作る」のではなく、「医療を支える技術を作る」という形で、早稲田らしいアプローチを強めているのです。「早稲田大学医学部」の誕生は、今後も国の政策や既存大学との縁次第という、非常に難易度の高い物語であり続けるでしょう。
