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エホバの証人の輸血拒否問題とは何かー滋賀医科大学附属病院への訴訟から考える、信仰・医療・自己決定権

エホバの証人イメージ

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エホバの証人の輸血拒否問題は、医療現場において長年議論されてきた重要なテーマです。

宗教上の理由から輸血を拒否する患者に対して、医師はどこまで本人の意思を尊重すべきなのか。命を救うために必要な輸血であっても、患者が拒否した場合、医療者はその意思に従うべきなのか。それとも、医師の救命義務を優先すべきなのか。

この問題は、単なる宗教上の対立ではありません。患者の自己決定権、医師の説明義務、病院の診療方針、未成年者の保護、そして医療機関が診療を断ることの可否という、現代医療の根本に関わる問題です。

2026年には、滋賀医科大学附属病院で白内障手術を断られたとするエホバの証人の女性が、滋賀医科大学を相手に損害賠償を求めて提訴したことが報じられました。報道によれば、女性は宗教上の理由から輸血を受け入れない意思を文書で示したところ、医師から「エホバの証人の患者は受け入れられない」として診療を断られたと主張しています。女性はその後、別の医院で両目の白内障手術を受け、輸血は必要なかったとされています。請求額は330万円、提訴日は2026年1月23日付と報じられています。

この訴訟は、従来の「輸血してしまったことが違法か」という問題とは異なり、「輸血拒否を理由に、そもそも手術を断ることが許されるのか」という点を正面から問うものです。

エホバの証人はなぜ輸血を拒否するのか

エホバの証人は、聖書にある「血を避けなさい」という教えを、食物としての血だけでなく、医療行為としての輸血にも及ぶものと解釈しています。

そのため、一般的にエホバの証人は、全血輸血や、赤血球・白血球・血小板・血漿といった主要な血液成分の輸血を受け入れません。

ただし、すべての医療を拒否しているわけではありません。手術、麻酔、薬物治療、止血処置、人工透析、血液をできるだけ使わない治療など、多くの医療行為は受け入れられます。問題となるのは、主に「血液そのものを体内に入れること」です。

また、血液分画と呼ばれるアルブミン、免疫グロブリン、凝固因子などについては、信者個人の良心に委ねられる場合があります。したがって、医療者側は「エホバの証人だからすべて不可」と決めつけるのではなく、患者本人がどの医療行為を受け入れ、どの医療行為を拒否するのかを個別に確認する必要があります。

輸血拒否は「治療拒否」そのものではない

エホバの証人の輸血拒否は、しばしば「命を軽視している」「治療を拒否している」と誤解されます。

しかし、多くの場合、患者は治療そのものを拒否しているのではありません。むしろ、「輸血を使わない方法で治療してほしい」と希望しています。

そのため医療現場では、無輸血治療や血液温存療法が検討されます。たとえば、手術前に貧血を改善する、出血量の少ない術式を選ぶ、止血を徹底する、自己血回収装置を使う、造血を促す薬を使う、といった方法です。

ただし、これらの代替手段には限界があります。大出血や重篤な外傷、分娩時の大量出血、がん手術、心臓血管手術などでは、輸血が救命のために不可欠となることがあります。

したがって、輸血拒否問題の本質は、「輸血をするか、しないか」だけではありません。患者がどこまでリスクを受け入れるのか、医療者がどこまで無輸血で対応できるのか、病院としてどのような方針を採るのかを、事前に明確にしておくことが重要です。

「絶対的無輸血」と「相対的無輸血」

この問題を理解するうえで重要なのが、「絶対的無輸血」と「相対的無輸血」の違いです。

絶対的無輸血とは、どのような状況でも輸血を行わないという考え方です。たとえ輸血しなければ命に関わる場合でも、患者の意思に従って輸血をしない立場です。

一方、相対的無輸血とは、できる限り輸血を避ける努力はするものの、救命や生命維持のために輸血が必要だと医師が判断した場合には輸血を行うという立場です。

滋賀医科大学附属病院は、公式サイトで「救命や生命の維持にとって輸血が必要であると医師が判断した場合には輸血を行う『相対的無輸血』で診療を行っております」と明記しています。また、緊急時には輸血を行うとも示しています。(滋賀医科大学)

この方針自体は、同病院に限ったものではありません。多くの医療機関では、患者の宗教的信念を尊重しつつも、「生命維持に必要な場合には輸血を行う」という相対的無輸血の立場を採っています。

問題は、その方針を患者にどのように説明し、患者がその方針を受け入れない場合にどう対応するかです。

日本の医療現場に大きな影響を与えた最高裁判決

日本でエホバの証人の輸血拒否問題を語る際、必ず取り上げられるのが2000年2月29日の最高裁判決です。

この事件では、エホバの証人の成人女性が、輸血を受けないことを希望して手術を受けました。患者側は、輸血以外に救命手段がない場合でも輸血しないでほしいという意思を示していました。

一方、医療機関側は、できる限り輸血を避けるものの、救命のために必要であれば輸血するという方針を持っていました。しかし、その方針を患者に十分説明しないまま手術を行い、実際に輸血が実施されました。

最高裁は、医師が「救命のためには輸血する可能性がある」という方針を説明しなかったことで、患者が自分の信仰に基づいて手術を受けるかどうかを判断する機会を奪ったと判断しました。つまり、問題とされたのは、輸血そのものだけではなく、患者の意思決定権を侵害した点でした。(神戸大学)

この判決以降、医療機関には、患者の輸血拒否の意思を確認するだけでなく、自院が絶対的無輸血に対応するのか、相対的無輸血の方針を採るのかを明確に説明することが求められるようになりました。

滋賀医科大学附属病院訴訟の概要

今回注目されている滋賀医科大学附属病院の訴訟は、これまでの輸血拒否問題とは少し性質が異なります。

報道によれば、滋賀県の女性は白内障手術が必要と診断され、2024年1月に紹介先である滋賀医科大学附属病院を受診しました。その際、宗教上の理由で輸血を受け入れないことを文書で示したところ、医師から「エホバの証人の患者は受け入れられない」として診療を断られたと主張しています。女性は後日、別の医院で両目の手術を受け、輸血の必要はなかったとされています。

原告側は、病院が正当な理由なく治療を拒否したことは、公立病院としての義務に反し、患者の自己決定権や信教の自由を侵害するものだと主張していると報じられています。

一方、滋賀医科大学附属病院は、公式方針として相対的無輸血を掲げています。同病院の理念・基本方針では、患者の人格と尊厳を重んじること、患者の権利を守ること、診療内容の説明を受ける権利、自ら治療方法を選択する権利なども掲げられています。(滋賀医科大学)

このため、今回の訴訟では、次のような点が争点になる可能性があります。

第一に、白内障手術という一般に出血リスクが極めて低い手術について、輸血拒否を理由に診療を断ることが医学的・法的に正当化されるのか。

第二に、病院側が断った理由が「宗教そのもの」だったのか、それとも「緊急時に輸血を行うという病院方針に同意できないこと」だったのか。

第三に、病院側が相対的無輸血の方針を十分に説明し、患者に選択の機会を与えたのか。

第四に、大学附属病院・公的性格を持つ医療機関として、どこまで診療を引き受ける義務があるのか。

この訴訟は、輸血拒否をめぐる医療裁判の中でも、「患者の意思に反して輸血した」事案ではなく、「輸血拒否を理由に手術を引き受けなかった」事案として注目されます。

白内障手術だったことの意味

今回の訴訟で重要なのは、問題となった手術が白内障手術だったという点です。

白内障手術は、一般的には出血量が非常に少ない手術です。多くの場合、局所麻酔で行われ、短時間で終了します。もちろん、どのような手術にも合併症や予期せぬ事態の可能性はありますが、輸血が必要になる可能性は、他の大規模手術に比べればかなり低いと考えられます。

そのため、原告側から見れば、「実際に別の医院では輸血なしで手術できた」「そもそも輸血が必要になる可能性の低い手術だった」「宗教を理由に一律に拒否されたのではないか」という主張になりやすい事案です。

一方、病院側から見れば、どれほど低リスクの手術であっても、医療行為にリスクゼロはありません。もし術中・術後に予期せぬ出血や全身状態の急変が起き、輸血が救命に必要となった場合、患者が輸血を拒否していれば、医療者は重大な倫理的・法的リスクを抱えることになります。

ここに、患者側と医療機関側の認識のずれがあります。

患者側は「輸血がほぼ不要な手術なのだから、拒否するのは過剰ではないか」と考えます。
医療機関側は「万一の救命手段を封じられるなら、たとえ低リスク手術でも引き受けられない」と考えます。この対立が、今回の滋賀医科大学訴訟の核心にあります。

医師は診療を断ることができるのか

日本では、医師法第19条により、診療に従事する医師は、診察治療の求めがあった場合、正当な事由がなければ拒んではならないとされています。これを一般に「応召義務」と呼びます。

ただし、応召義務があるからといって、どのような治療でも必ず引き受けなければならないわけではありません。医療機関の設備、専門性、緊急性、患者の状態、医療安全上の問題などによって、対応できない場合はあり得ます。

輸血拒否患者の場合、医療機関が「絶対的無輸血には対応できない」と判断すること自体は、医療安全上の理由として一定の合理性を持ち得ます。実際、滋賀県立総合病院も、宗教的信念による輸血拒否を患者個人の権利として尊重し、可能な限り無輸血治療に努力するとしながら、絶対的無輸血を希望する場合には対応可能な他院への転院を勧める方針を示しています。(滋賀県公式サイト)

しかし、今回のように白内障手術という低出血リスクの手術であった場合、診療拒否の正当性はより慎重に検討されることになります。単に「エホバの証人だから受け入れられない」という説明であれば、宗教を理由とした差別的扱いと評価される可能性があります。

一方で、「当院は相対的無輸血の方針であり、緊急時には輸血を行う。その方針に同意いただけない場合、安全な診療契約を結べない」という説明であれば、宗教そのものではなく、医療安全上の条件不一致として整理される可能性があります。

つまり、裁判で重要になるのは、病院が何を理由に、どのように説明し、どのような代替案を示したのかです。

成人患者の場合:自己決定権が重視される

成人で判断能力がある患者の場合、医療倫理では自己決定権が重視されます。

患者には、医師から十分な説明を受けたうえで、治療を受けるかどうかを決める権利があります。これは、医学的に最善とされる治療であっても、本人の価値観や信仰に反する場合には、拒否できるという考え方につながります。

宗教的輸血拒否に関するガイドラインでも、18歳以上で医療に関する判断能力がある患者については、本人の意思確認が重視されています。未成年者についても、15歳以上で医療に関する判断能力がある場合には、本人の意思を考慮する枠組みが示されています。(日本麻酔科学会)

ただし、自己決定権は、医師に「どんな条件でも治療を提供せよ」と命じる権利ではありません。患者が輸血を拒否する自由を持つ一方で、医療機関も、自院の設備・体制・安全管理上の理由から、絶対的無輸血には応じられないと判断することがあります。

そのため、現実の医療現場では、患者の自己決定権と医療機関の安全配慮義務をどう調整するかが問題になります。

未成年者の場合:親の信仰と子どもの生命

輸血拒否問題で特に難しいのが、未成年者の場合です。

成人であれば、本人の信仰と自己決定権が尊重されます。しかし、子どもの場合、親の信仰を理由に救命可能な治療が拒否されると、子どもの生命・健康を守る必要性が強く問題になります。

宗教的輸血拒否に関するガイドラインでは、15歳未満、または医療に関する判断能力がない未成年者について、親権者が輸血を拒否していても、最終的に輸血が必要な場合には輸血を行う方向が示されています。親権者の同意が得られず治療が阻害される場合には、児童相談所への虐待通告、一時保護、親権者の職務停止などの手続きが想定されています。(日本麻酔科学会)

この点は、成人の輸血拒否とは大きく異なります。親の信教の自由は重要ですが、それが子どもの生命を危険にさらす場合、社会や医療機関は子どもの保護を優先する必要があります。

2026年の教義変更報道:自己血は個人判断へ

2026年3月には、エホバの証人の輸血に関する方針をめぐって重要な報道がありました。

AP通信は、エホバの証人の統治体が、予定手術などに備えて自分自身の血液をあらかじめ採取・保存し、必要時に戻す自己血輸血について、信者個人の判断に委ねる方向へ方針を調整したと報じました。ただし、他人の血液を受ける輸血の禁止は維持されるとされています。(AP News)

この変更は、医療現場に一定の影響を与える可能性があります。予定手術であれば、患者自身の血液をあらかじめ保存しておくことで、輸血拒否によるリスクを一部軽減できる可能性があるからです。

しかし、自己血輸血には限界もあります。急な事故や大量出血、緊急手術では事前に自己血を準備できません。また、自己血を採ることで術前に貧血が進むリスクもあります。AP通信も、自己血は手術の6週間前から5日前程度に採取されることがある一方、採血により貧血や血算低下を招く可能性があると説明しています。(AP News)

したがって、この方針変更によって輸血拒否問題が完全に解決するわけではありません。むしろ、今後は「自己血を受け入れるのか」「どの血液処置を受け入れるのか」を、患者ごとにさらに丁寧に確認する必要があります。

医療現場に求められる対応

エホバの証人の輸血拒否問題に対応する医療機関には、いくつかの重要な姿勢が求められます。

まず、患者本人の意思を個別に確認することです。エホバの証人であるというだけで、すべての医療行為を一律に拒否すると決めつけてはいけません。どの血液製剤を拒否するのか、血液分画は受け入れるのか、自己血はどう考えるのか、人工透析や自己血回収装置は受け入れるのかを確認する必要があります。

次に、医療機関の方針を明確に説明することです。「できるだけ輸血しません」という曖昧な説明では不十分です。緊急時には輸血するのか、絶対に輸血しない対応が可能なのかを、事前に明示する必要があります。

さらに、説明内容を診療録に残すことも重要です。後に紛争になった場合、何を説明し、患者がどう理解し、どのような選択をしたのかが問われます。

また、低出血リスクの手術については、「輸血拒否だから一律に不可」とするのではなく、手術ごとのリスク、患者の状態、病院の体制を踏まえて個別に判断する姿勢が求められます。今回の滋賀医科大学訴訟は、まさにこの点を社会に問いかけています。

滋賀医大訴訟が投げかける問い

今回の訴訟が重要なのは、単に一人の患者と一つの病院の争いにとどまらないからです。

この訴訟は、次のような問いを医療界に投げかけています。

宗教上の理由で輸血を拒否する患者に対して、病院はどこまで治療を提供すべきなのか。

輸血がほとんど想定されない低リスク手術でも、緊急時の輸血に同意しない患者を断ることは許されるのか。

「エホバの証人は受け入れられない」という表現は、宗教差別にあたるのか。

病院が相対的無輸血の方針を掲げている場合、その方針に同意できない患者との診療契約を結ばないことは正当化されるのか。

患者の自己決定権と医療者の救命義務が衝突したとき、どちらを優先すべきなのか。

これらの問いに対する明確な答えは、まだ出ていません。裁判の行方によっては、今後の医療機関の対応方針に大きな影響を与える可能性があります。

まとめ:輸血拒否問題は「宗教対医療」ではない

エホバの証人の輸血拒否問題は、「宗教が医療を妨げている」という単純な話ではありません。

そこには、患者が自分の人生観・信仰・価値観に基づいて医療を選ぶ権利があります。一方で、医師には患者の命を守る責任があり、病院には安全な医療を提供する義務があります。

成人患者の場合、自己決定権は強く尊重されます。しかし、医療機関が絶対的無輸血を引き受けられない場合、その方針を明確に説明し、必要に応じて転院や代替手段を提案することが求められます。

未成年者の場合は、親の信仰だけでなく、子どもの生命と健康を守る観点が優先される場面があります。

そして、滋賀医科大学附属病院をめぐる最新訴訟は、「輸血拒否を理由に治療を断ることはどこまで許されるのか」という新しい問題を浮かび上がらせました。

今後の医療現場では、エホバの証人の患者を一律に拒否するのではなく、手術のリスク、患者の意思、病院の体制、緊急時の対応方針を丁寧に整理し、対話を重ねることがますます重要になります。

輸血拒否問題の核心は、「命を救う医療」と「その人らしく生きる権利」をどう両立させるかにあります。だからこそ、感情的な対立ではなく、事前の説明、文書による意思確認、無輸血治療の検討、法的・倫理的手続きの整備が求められているのです。

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