京都の医療を支える二大巨頭といえば、京都大学(京大)と京都府立医科大学(府立医大)です。しかし、京都の人々にとって、より「地域に根ざした守護神」として親しまれているのは、間違いなく府立医大の方でしょう。
今回は、お寺から始まったという設立の経緯から、現在の京都における圧倒的な支配力、そしてその頂点とも言える京都府医師会との関わりまで、府立医大の深層を解剖したブログ記事をお届けします。
目次
設立の経緯:お寺の一角から始まった「市民の願い」
府立医大の歴史は、明治5年(1872年)にまで遡ります。その舞台は京都の門跡寺院、青蓮院(しょうれんいん)でした。
「官立」ではなく「府立」であることの誇り
当時、文明開化とともに西洋医学の導入が急務でした。しかし、府立医大がユニークなのは、国主導(官立)ではなく、当時の京都府知事や地元の有力者、そして「自分たちの街の医療を良くしたい」と願う市民たちの寄付によって「療病院」として設立された点です。
- 1880年: 現在の所在地である河原町広小路へ移転。京都御所の隣という、京都の中心に位置する場所です。
- 1921年: 大学令により「京都府立医科大学」へ昇格。公立医大としては日本最古級の伝統を誇ります。
この「京都の人々が自らの手で作った」という成り立ちが、現在も続く「臨床の府立医大」という、地域に尽くす泥臭いまでの熱い校風の源流となっています。
京都の医療を支える「関連病院」ネットワーク
「京都の病院は、府立医大の医師がいなければ回らない」と言われるほど、その派遣ネットワークは強力です。主な関連病院をエリア別に見てみましょう。
【京都市内】高度医療の要
- 京都府立医科大学附属病院(本院:上京区)
- 京都第二赤十字病院(上京区:府立医大の最大の拠点の一つ)
- 京都市立病院(中京区:京大との共同運用)
- 三菱京都病院(西京区)
- 済生会京都府病院(長岡京市)
- 松下記念病院(守口市:京都南部からアクセス良好)
【京都府北部・中部】地域医療の砦
京都府北部の医療維持は、府立医大の歴史的使命でもあります。
【他県への影響力】
- 近江八幡市立総合医療センター(滋賀県:府立医大の強力な拠点)
- 大阪府済生会吹田病院
現在の京都における「圧倒的な影響力」
府立医大の影響力は、単に「医師を派遣している」という数だけの話ではありません。
① 行政・医師会との強固な絆
京都の医療行政において、府立医大は極めて重要なポジションを占めています。その象徴とも言えるのが、京都府医師会との関係です。現在の京都府医師会会長・松井道宣(まつい みちのり)氏も、京都府立医科大学の出身です。
医師会は、地域の開業医と大病院、そして行政を繋ぐ司令塔。そのトップを府立医大出身者が務めている事実は、京都の医療政策の根幹に同大のスピリットが流れていることを意味します。
② 京大との棲み分け:研究の京大、臨床の府立
世界的な研究で知られる京大に対し、府立医大は「現場でいかに患者を治すか」という臨床技術に重きを置いています。京都の開業医の多くが府立医大出身であるため、「近所のクリニック(府立医大卒)から、高度な治療が必要なときは本院(府立医大)へ」という強固な連携ルートが出来上がっています。
③ 橘桜会(同窓会)の結束力
卒業生組織の団結力は非常に強く、学閥としてのパワーは京都府内において京大をも凌駕すると言われることがあります。このネットワークが、京都の医療の質と安定性を支えているのです。
京都の命を守る誇り
京都府立医科大学は、お寺の一角から始まり、府民の期待を背負って成長してきました。明治から令和へ。時代は変わっても、「京都の医療は自分たちが守る」という自負は、関連病院の現場や、医師会という組織のトップに至るまで、今も脈々と受け継がれています。
