同志社大学。関西の私立大学の雄であり、「同志社英学校」時代から考えると京都大学よりも設立の古いこの名門校に、なぜ「医学部」という看板がないのか。これは、受験生や同窓生の間で長年語られてきた、ある種の「ミステリー」でもあります。
ここでは、歴史、行政、そして経済的な観点から、同志社大学に医学部が存在しない理由を考察していきましょう。
目次
創設者・新島襄の「早すぎる死」と未完の夢
同志社大学の歴史を紐解くと、実は創設者の新島襄は「総合大学(University)」の設立を悲願としていました。彼の構想には、当然ながら医学教育も含まれていたと言われています。
しかし、新島は1890年、わずか46歳の若さでこの世を去ります。当時の同志社はまだ「大学」としての認可を受ける前段階(同志社英学校など)であり、基盤を固めるだけで精一杯の時期でした。カリスマ的リーダーを失ったことで、莫大な資金と人材を要する医学部新設の計画は、日の目を見ることなく遠のいてしまったのです。
文部科学省による「医師養成数」の厳格な規制
歴史的な理由以上に大きな壁となっているのが、現代日本の「医師抑制政策」です。
日本では、医師の過剰供給を防ぐという名目で、文部科学省が医学部の新設を厳格に制限してきました。
- 「一県一医大」構想: 地方の医師不足を解消するため、国立大学の医学部設置が優先された。
- 新設の極端な少なさ: 1979年の琉球大学医学部設置から、2016年の東北医科薬科大学(震災復興支援)、2017年の国際医療福祉大学(国家戦略特区)まで、約40年間も医学部の新設は認められませんでした。
つまり、同志社が「作りたい」と思っても、国がダメと言えば作れないという構造がずっと続いてきたのです。
莫大な設立・運営コストという現実
医学部の新設には、他学部とは比較にならないほどの「桁違いのコスト」がかかります。
- 附属病院の建設: 医学部には高度な医療設備を備えた大学病院が不可欠です。これだけで数百億〜数千億円の投資が必要です。
- 優秀な教授陣の確保: 臨床と研究の両方をこなすトップクラスの医師を多数招聘する必要があります。
- 経営リスク: 私立大学にとって、医学部はブランドにはなりますが、病院経営は常に赤字のリスクと隣り合わせです。
関関同立の中で唯一医学部を持つのは近畿大学のみですが、これは近大が非常に戦略的に、かつ巨額の投資を行って実現した「例外的な成功例」と言えます。
京都という「医療の激戦区」
京都という立地も、新設を難しくしている要因の一つです。
京都市内にはすでに、
という二大巨頭が存在します。狭いエリアにこれ以上の医学部は不要である、というのが行政の判断であり、地域医療のバランスから見ても同志社が入り込む余地は極めて少なかったのです。
現状の最適解:「生命医科学部」の存在
医学部こそありませんが、同志社大学は2008年に「生命医科学部」を設置しました。これは「医者を作る学部」ではなく、「工学の視点から医学を支える」というアプローチです。
- アンチエイジング
- 人工臓器
- 医療機器開発
など、現代医療に欠かせない分野を担っています。また、京都府立医科大学との包括協力協定を締結しており、教育や研究面で実質的な「医学連携」を強化しています。
「医学部という箱を作るのではなく、他大学と連携しながら知を共有する」
これこそが、伝統を重んじつつも柔軟な同志社らしい、現代における「未完の夢」への回答なのかもしれません。
