医学部専門個別予備校

「なぜ医学生はドイツ語を学んだのか?日本の医学部における外国語教育の歴史と現在」

明治期における医学教育とドイツ語の重視

日本の近代医学教育は明治時代に西洋から導入され、その黎明期においてドイツ語が大きな役割を果たしました。明治初期には、医学を含む西洋の学問は当初オランダ語(蘭学)を通じて紹介されていました。しかし明治政府は医学分野ではドイツの先進性に着目し、医学教育の主流をオランダ語からドイツ語へと切り替えます。東京の第一大学区医学校(のちの東京医学校、東京大学医学部)では、招聘されたドイツ人教師によって医学教育がドイツ語で行われました。このように、日本の医学部では黎明期からドイツ語が医学を学ぶ上で不可欠な言語となっていきました。

このドイツ語重視の背景には、当時のドイツ医学の世界的な優位性と、日本に招かれたドイツ人医師たちの存在があります。代表的な例がエルヴィン・ベルツ博士で、彼は東京帝国大学医学校で教鞭を執り、日本の医学の発展に大きく貢献しました。ベルツは明治天皇や皇太子の侍医も務めるなど、日本医学界における権威となり、その教育を通じてドイツ医学の知見を日本に根付かせました。他にもミュンヘンドルファーやスクリバなど多くのドイツ人教師(いわゆる「お雇い外国人」)が明治期の日本の医学教育に携わり、西洋医学の基礎を築きました。

森鷗外(森林太郎)はドイツ語重視時代を象徴する人物です。彼は1862年に藩医の家に生まれ、幼少期から蘭学(オランダ語)を学びましたが、明治維新後に医学界の洋学主流がドイツ医学に移行したためドイツ語習得に転じ、11歳で東京医学校に入学しています。東京大学医学部での教育はドイツ人教授によってドイツ語で実施され、森は学生時代に漢学や和歌も修めつつ、ドイツ語による医学知識の吸収に努めました。1884年、森鷗外は陸軍軍医としてドイツ留学の機会を得てベルリン大学などで衛生学を研究します。留学中は本務のかたわらドイツの文学・哲学書を貪欲に読み漁り、美術館や劇場にも通って欧州文化に触れました。1888年に大量の洋書とともに帰国した後も、ドイツから新刊の書籍や新聞・雑誌を取り寄せて最新の欧州事情に通じていたとされます。このように、森鷗外をはじめ明治期の医学者たちはドイツ語で最先端の知識を摂取し続け、日本語で不足する概念や専門用語を補っていきました。

森鷗外は軍医としても数々の功績を残しています。帰国後に陸軍軍医学校長など要職を歴任し、日本の軍隊衛生の近代化に寄与しました。例えば1889年には衛生学雑誌を創刊し、日本における近代的衛生学の普及に努めています。また1897年には小池正直と共に日本人による初の本格的衛生学教科書『衛生新編』を編纂し、近代的な公衆衛生の知識体系を国内に構築しました。このように、明治期から大正期にかけて医学者たちはドイツ留学で得た知見をもとに日本語の医学文献を整備し、医学教育・研究の水準向上に貢献していきました。

以上のように、明治維新以降の日本医学教育はドイツ医学の影響下にスタートし、ドイツ語は医学部における「第二外国語」として極めて重視されました。高度な医学知識を得るにはドイツ語の原典読解が不可欠であり、明治期の私立医学館であった済生学舎においてもドイツ語の原書や訳書で授業が行われるほどでした。ドイツ語習得は医師の教養として当然視され、当時の医学生にとってドイツ語はまさに専門教育の一部だったのです。

医学教育におけるドイツ語の定着と終焉

ドイツ語定着の要因: 明治から昭和前期にかけて、ドイツ語は長らく日本の医学教育・医学界に定着しました。その主な理由として、まず学術的必要性が挙げられます。19~20世紀前半の医学・生物学分野ではドイツが世界をリードしており、多くの最新医学論文や教科書がドイツ語で発表されていました。このため日本の医学生、医師は最先端知識を得るためドイツ語文献を読む必要があったのです。実際、19世紀末には野口英世など多くの医学生が正規課程外で夜学に通い英語やドイツ語・フランス語を学んでいた記録もあります。さらに人的ネットワークとして、当時の指導的な医学者の多くがドイツに留学経験を持ち、帰国後に大学で後進を指導したため、恩師の母国語であるドイツ語を学ぶ伝統が継承されました。例えば北里柴三郎はドイツでコッホに師事し、日本に細菌学を導入しましたし、その他多数の医学研究者がドイツ留学を経て国内で教育・研究に携わりました。こうした教授陣による教育カリキュラムもドイツ語重視を後押ししました。旧制大学(第二次大戦前の旧制医学専門課程)では、予科(大学入学前の2年程度の課程)で英語・ドイツ語を修得済みであることを前提に、本科の4年制医学部では専ら専門科目の教育に集中する方針がとられていました。そのため正規のカリキュラム上は語学の授業は少なかったものの、学生たちは予科段階でドイツ語を叩き込まれていたのです。また、旧制医学専門学校などでは限られた授業時間の中でドイツ語文献購読の科目が設けられ、医学知識の習得と語学力向上が同時に図られていました。

ドイツ語が定着したもう一つの要因は、医学用語への浸透です。多数の医学専門用語がドイツ語由来で日本語に取り入れられました。例えば「カルテ」はドイツ語 Karte(診療記録)、「メス」は Messer(解剖刀)に由来し、現在でも日常的に使われています。また「ギプス」(ギプス包帯)、「アドルミン」(睡眠薬の商品名の由来)など、診療現場や製薬分野でもドイツ語起源の語彙が長年使われてきました。こうした言語的遺産があるため、医学生がドイツ語を学ぶことは専門用語の理解にも直結し、教育上有用だったのです。

さらに、制度的にもドイツ語重視が色濃く反映されていました。例えば大正末から昭和初期にかけて、大学予科や高等学校(旧制教育機関)での外国語教育ではドイツ語が英語と並ぶ主要科目でした。昭和初期には、ある旧制高校で週あたりドイツ語9時間、英語3時間というカリキュラムも存在し、当時の情勢がドイツ語優位であったことが窺えます。1930年代には日本が国際連盟を脱退しドイツと接近したこともあり、語学教育面でもドイツ語の比重がさらに高まったとの指摘があります。このように国際関係も影響して、戦前の日本医学界では「ドイツ語ができること」がエリート医師の条件の一つとなっていました。

ドイツ語慣習の終焉

第二次世界大戦後、こうしたドイツ語中心の慣習は大きく転換していきます。その最大の要因は、医学界の国際化と言語環境の変化でした。戦後はアメリカ合衆国の影響力が増大し、科学・医学の世界言語が急速に英語へと移行します。医学研究の最新成果は英語の論文で発表される時代となり、日本の医学生・研究者にとっても英語の重要性が飛躍的に高まりました。その結果、従来重んじられてきたドイツ語の実用性は低下し始めます。例えば1950年代以降の医師国家試験では、戦前に存在したドイツ語の試問は廃止され、代わりに英語で医学知識を問う問題が登場しました (現在でも国家試験には医学英語の設問があります)。臨床現場でも、かつて医師がドイツ語でカルテ(診療記録)を書いていた習慣は徐々に廃れ、英語や日本語で記載するように変わっていきました。特に1960年代以降に医師となった世代では、研修や論文発表で英語が中心となり、ドイツ語は教養として学ぶに留まるケースが増えます。

日本の医学教育制度の改革もドイツ語終焉の一因です。戦後の学制改革により大学は新制6年制の医学部となり、初年度から一般教養課程が組み込まれました。一般教養では英語が必修科目と位置付けられ、第二外国語としてドイツ語・フランス語などを学ぶ形に移行しました。この結果、戦前のような「医学専門教育=ドイツ語」という構図は崩れ、語学はあくまで教養科目として扱われるようになります。高度経済成長期には欧米との学術交流が盛んになり、国内の医学部でも海外の文献講読会で英語論文が扱われたり、欧米人講師による英語の特別講義が行われたりと、英語偏重が顕著になりました。こうした流れの中で、伝統としてのドイツ語教育は徐々に縮小していきます。昭和後期には「昔は医学部で独語が必修だったが、現在ではほぼ無い」と言われるほどに状況は変化しました。

決定的だったのは1990年代以降の教育カリキュラム見直しです。多くの大学でカリキュラム改訂により英語教育強化と第二外国語科目の位置付け再検討が行われました。日本医科大学では1999年の改訂で、明治以来続いたドイツ語優位の状態がついに崩れ、英語が主要科目の座を獲得するとともに、ドイツ語・フランス語は初修外国語の選択科目に格下げされました。このように21世紀に入る頃までに、日本の医学部から「ドイツ語必修」の伝統はほぼ姿を消したのです。現在では英語の重要性が圧倒的となり、ドイツ語は選択科目や有志の学習対象として残るのみとなっています。「昔は医学部で独語必修だったと聞くが、今ではほぼ無い」との指摘どおり、かつて必修であった大学も選択制へ移行し、ごく一部を除き学生が必ずドイツ語を学ぶ時代は終わりました。

主要大学における第二外国語カリキュラムの変遷

日本全国の医学部(国公立・私立)では、戦後から現在に至るまで第二外国語教育のカリキュラムが変遷を遂げてきました。旧帝国大学など伝統校から新設の単科医科大学まで、その変化をいくつかの例で辿ります。

旧帝国大学系(総合大学)医学部

東京大学や京都大学など旧帝大系の医学部では、戦後一貫して「英語+第二外国語」の体制が維持されてきました。ただし第二外国語はドイツ語に限定されず、学生はドイツ語・フランス語・中国語・スペイン語などから選択履修する形です。東京大学では全学部共通に1年次で第二外国語の履修が必須となっており、医学部生もドイツ語や中国語などから1言語を選んで学びます。京都大学や他の旧帝大でも同様で、医学部だから特別にドイツ語のみ必修ということは現在ありません。これは総合大学では語学教員の数が充実しており、複数言語の選択を提供できる事情も関係しています。戦前は旧帝大医学部では予科段階で英独二語を履修し、本科では語学科目がなかった のに対し、戦後は初年次教養課程に語学が正式科目として組み込まれています。このためドイツ語教育も「医学の専門科目」というより「一般教養」として位置づけ直され、他学部と同様の扱いになりました。それでも1970年代頃までは旧帝大医学部でも多くの学生が伝統的にドイツ語を選択する傾向が強かったようです。しかし年代が下るにつれて選択言語は多様化し、現在では例えば東大ではドイツ語に限らず中国語やスペイン語を選ぶ医学生も増えています。

伝統の私立医科大学

私立でも歴史ある医学部(慶應義塾大学医学部、日本医科大学、慈恵医大など)では、1年次に英語以外の外国語科目が配置されている点は国公立と共通です。ただし開講される言語の数は大学規模によって様々で、必要最低限の言語のみ提供というケースも見られます。例えば北里大学医学部ではカリキュラム上、1年次に「言語と文化A」という科目枠でドイツ語またはフランス語のいずれかを履修することになっており(英語科目は別途必修)、選択肢は欧州系2言語に絞られています。同様に、伝統私立医大の中には第二外国語=独仏2択というところも多く見られます。これは語学教員の人員上の制約もあり、少人数で教えやすい主要言語に限定しているためです。一方で、そうした大学では少人数クラスや独自教材を用いるなどきめ細かな指導が行われる傾向があります。なお、日本医科大学では1990年代まではドイツ語・フランス語が「選択必須」(どちらかを必ず履修)の扱いでしたが、2016年度のカリキュラム改革で従来の独仏の必修授業を廃止し、後述する新プログラムに置き換える大胆な改革を実施しています。このように私立医学部も一様ではなく、伝統を踏襲しつつ漸次見直しを図る動きがみられます。

単科医科大学・地方の公立医学部

医科大学(医学部のみの単科大学)や地方の公立大学医学部では、これまで第二外国語の扱いが大学ごとにばらつきました。昭和後期には「小さな地方大学では教官不足でドイツ語しか選べないところもある」といわれたように、提供言語が限定的な場合もありました。実際、ある公立の単科医科大学(具体名は挙げられていませんが、おそらく地方の県立医大など)では「第二外国語はドイツ語が必修で、希望者には追加でフランス語とラテン語も履修できた」という証言があります。この大学ではドイツ語の専任教員がおり、フランス語、ラテン語は兼任講師が担当していたとのことです。ラテン語まで提供されていたのは珍しいケースですが、語学教員数の限られた単科大学ではこうした形でカリキュラムを組んでいた例もあります。公立の奈良県立医科大学では近年、第二外国語科目そのものを廃止して英語教育に特化する改革を行いました (こちらは後述)。このように、規模の小さい医学部ではドイツ語一択の時代もありましたが、21世紀に入り改善・改革が進んでいます。

防衛医科大学校

特殊な例として防衛医大(防衛省管轄の大学校)があります。1970年代に創設された同校は、当初から語学教育に力を入れていました。創設当時は英語・ドイツ語・フランス語の3語が開設され、卒業要件として英語10単位、ドイツ語またはフランス語8単位を履修する必要がありました。これは一般的な医学部に比べてもかなり重厚な第二外国語教育でした。しかしその後のカリキュラム改正で比重が段階的に見直されます。2003年度以降は卒業要件が英語9単位、独仏いずれか8単位となり、さらに2007年度入学生からは英語6単位、そして選択外国語(英会話・独語・仏語・中国語の中から1科目)2単位という現在の形に移行しました。つまり、防衛医大では当初こそ独仏語を重視していたものの、21世紀に入り第二外国語の位置づけを大幅に縮小し、選択科目として最低限履修するだけでよい体制に転換したのです。この背景には、限られた教育期間で英語や医学専門科目により多くの時間を割く必要性が高まったことがあると考えられます。

以上のように、主要大学のカリキュラムを追うと、戦後~20世紀末にかけて徐々に「第二外国語必修」の縛りが緩み、選択言語の多様化や英語偏重へのシフトが顕著になっていることが分かります。特に1990年代以降は大学ごとに創意工夫が見られ、従来の独仏中心から中国語やスペイン語の導入、あるいは思い切った必修外しまで様々な変革が起きました。こうした変遷は次章の現在の実態にもつながっています。

現在の医学部における第二外国語教育の実態

英語重視と第二外国語の選択制:  21世紀現在、日本の医学部では英語教育の重要性がますます高まり、第二外国語は多くの大学で初年次カリキュラムに組み込まれてはいるものの、その位置づけは以前に比べて相対的に小さくなっています。国公立・私立を問わず、「英語+もう1言語」という形自体は残っていますが、必修ではなく選択必修(いずれか1つ履修)だったり、履修自体を学生の裁量に委ねたりするケースも出てきました。

国立の例では、千葉大学医学部が近年のカリキュラム改革の先例です。同医学部では従来は1年次に初修外国語(英語以外)が必修でしたが、これを「自由選択科目(履修推奨)」に切り替えました。その代わりに6年間を通じた医学英語教育(English for Medical Purposes)の充実を図っています。つまり千葉大学では第二外国語を事実上オプションとし、英語を通年で継続的に学ぶカリキュラムへ移行しています。このような改革は国公立でも珍しくありません。

さらに踏み込んだ例が、奈良県立医科大学(公立)です。同大学では第二外国語を一切課さず英語の授業をその分増やす方針を打ち出しました。1年次から毎日英語の日記提出を課す、医学専門の英単語を徹底的に習得させる、といった独自色の強い徹底した英語教育を行い、外国語は英語一本に集中するという割り切ったカリキュラムを採用しています。奈良県立医大では「外国語=英語だけ」という極端な例ですが、国公立でもこのように実践的な英語運用能力育成を重視する動きが出始めています。

一方、多くの総合大学医学部では依然として1年次に第二外国語科目を設けています。ただし前述のように選択できる言語には大学ごとに違いがあります。おおむねドイツ語・フランス語はどの大学でも選択可能ですが、中国語やスペイン語は開講がない大学も一部あります。旧帝大系では選択肢が広く、北海道大では独・仏・中、九州大では独・仏・中・韓、といった具合に提供されています。逆に規模の小さい大学ではドイツ語・フランス語のみということもあります。ただ「独語必修」は現在ほぼ存在せず、学生が興味や将来像に応じて言語を選択するのが一般的です。また履修期間も多くの大学で1年間限り(または1~2年次まで)であり、高学年になると第二外国語に触れる機会はほぼなくなります。そのため「どの言語をとっても高学年になれば忘れる。使わないからだ」という学生側の本音もしばしば聞かれます。

私立医学部の現在

私立大学医学部では大学ごとの個性が語学カリキュラムに現れます。伝統的な私立医大(慶應、慈恵、日本医大など)では1年次に英語以外の外国語を学ばせる点は国公立と同様ですが、その扱いは様々です。例えば北里大学医学部では前述のとおりドイツ語かフランス語を選択履修します。日本医科大学では2016年度にカリキュラム改革を行い、従来の独語・仏語の必修授業を廃止して「世界の言語と文化」という新プログラムを導入しました。この科目は特定の一言語を深く学ぶのではなく、世界の様々な言語や文化に幅広く触れる講義形式の授業で、将来医師として必要な国際教養の素地を養う試みです。このように革新的なアプローチを取る私立も出てきています。一方で国際医療福祉大学医学部(2017年開設)では授業の大半を英語で行う英語媒介型のカリキュラムを採用しており、在学生の約7人に1人が留学生という環境です。専門知識と英語を統合的に学ぶ内容言語統合型学習(CLIL)を取り入れ、結果として第二外国語科目の比重は極めて小さくなっています (必要に応じて日本語補習や他言語講座も用意されていますが、カリキュラムの軸は英語)。また、杏林大学医学部では「グローバルに活躍できる医師の育成」を掲げ、在学中の海外研修プログラム参加機会を豊富に用意することで、語学科目としての第二外国語よりも実地での語学運用(留学・国際交流)を重視する傾向を見せています。こうした私立では、形式的な第二外国語の講義よりも英語力の実践的養成や留学経験を重んじる流れが強まっています。

以上まとめると、現在の日本の医学部において「英語偏重」の傾向は否めないものの、第二外国語教育が消滅したわけではなく、多くの大学で何らかの形で1年間程度は組み込まれています。ただし昔日のようにドイツ語を全員が習う状況ではなく、選択肢も拡大し、履修の有無も柔軟になっています。さらに一部の大学では英語教育強化のため第二外国語を事実上オプション化・廃止する動きもみられ、他方で国際教養育成のため逆に多言語に触れさせようとする動きもあり、対応は分かれています。この点については次章で歴史的意義と将来展望の文脈で詳述します。

医学生と英語以外の外国語:解剖学におけるラテン語など

医学部進学後、学生たちが英語以外の外国語にどのように関わるかを見てみます。formalな授業としては上述のように第二外国語の講義がありますが、それ以外にも専門教育の中で外国語(ラテン語やドイツ語)の知識が求められる場面があります。

一つの例が解剖学におけるラテン語です。ラテン語はかつて西洋医学の共通言語であり、現在でも国際的な解剖学命名法(Terminologia Anatomica)はラテン語を基盤としています。日本でも明治以来、解剖学や生物学の学術用語はラテン語・ギリシャ語を語源とするものが多く、これを日本語に翻訳・当て字した専門用語が使われてきました。例えば人体の骨の名前(鎖骨=clavicula 等)や筋肉の名前(上腕二頭筋=Musculus biceps brachii 等)は元はラテン語です。戦前の医学教育では学生がラテン語そのものを学ぶ機会も一部にありました。日本医科大学の資料によれば、昭和38年(1963年)当時の同大学では英語・独語の教員に加えてラテン語の兼任教員が存在したことが確認されています。正式な科目としてラテン語講義があったか定かではありませんが、少なくとも解剖学用語などでラテン語教育が行われていた可能性があります。

また、先述のようにラテン語を選択科目として提供する大学もいくつか存在します。例えば熊本大学では初修外国語の選択肢としてヘブライ語やラテン語まで開講しており、学生が履修可能となっています。熊本大学のように幅広い言語を提供するケースは少数派ですが、選択肢としてラテン語を学べる環境は残っています。また、公立単科医大の一例ではありますが、第二外国語必修が独語のみだった大学でラテン語を有志選択で学べた例も報告されています。現在では必修でラテン語を課す医学部はありませんが、解剖学の講義中に主要な構造のラテン語名を併記して教えることは一般的に行われています。大学によっては試験でラテン語名も解答させることがありますが、その範囲は主要部位のみであり、学生全員にラテン語の文法や読解を習得させるものではありません。目的としては、国際標準の用語になじませること、および専門用語の語源を理解させることで記憶を助ける狙いがあります。

ドイツ語についても、現在の学生が全く関与しないわけではありません。医学界に残るドイツ語由来の伝統があるためです。臨床現場では往年の名残でドイツ語の略語や号令が用いられる場合があります。例えば手術中に器具を要求する際、「メス!(Messer)」や「ケリー!(鉗子を指す、Klemmeという説も)」などドイツ語起源の用語が飛び交うこともあります。また研修医が上級医を「オーベン」と呼ぶ慣習もかつては見られました (ドイツ語 Oberarzt の略で「上の先生」の意味)。現在の若手医師には通じにくくなっていますが、70代以上の医師の中にはカルテ記載や会話にドイツ語を交えていた世代もいます。しかしこうした伝統も近年では廃れてきており、今の医学生が実習でドイツ語を使う場面はほとんどありません。

興味深いケースとして、カルテ(診療録)の言語があります。昭和中期までは医師がカルテをドイツ語で書くことも一般的でしたが、現代ではほぼすべて日本語で記載されます。その転換の背景には、患者への情報開示や医療安全の観点があります。以前はカルテは医師の個人的メモのように扱われ、患者に読まれると困るためにわざと外国語(ドイツ語や英語)で書く医師もいたようです。しかし医療の透明化が進み、カルテは公的な記録として誰が見ても理解できることが求められるようになりました。その結果、現在では「カルテは日本語で明瞭に書くこと」が指導され、ドイツ語で書く習慣は姿を消しました。もっともカルテという言葉自体がドイツ語由来であったり、バイタルサイン測定欄を「T.P.R」(Temp., Puls, Resp.)と英語略記したりと、歴史の痕跡は残っています。

学生の自主的な関わり

英語以外の外国語への関与は、学生の自主的活動としてはごく一部で見られます。例えば医学史研究や文献購読サークルで、古典的な医学論文(ドイツ語文献など)を読む学生もいます。また将来ドイツやフランスに留学を希望する学生は、在学中に自主的に語学学校に通ったりオンライン講座で学んだりしています。ただしこれらはカリキュラムの範囲外であり、大多数の医学生にとっては英語以外の言語に深く関わる機会は限定的です。

総じて、現在の医学生と外国語(英語以外)の関わりは薄れつつあると言えます。ラテン語やドイツ語は医学用語の源流として最低限意識される程度で、教育カリキュラム上も選択科目や参考程度の位置づけです。しかし、医学のグローバルな側面から完全に排除されたわけではなく、細く長く伝統が受け継がれている領域と言えるでしょう。

医学教育における外国語教育の歴史的意義と今後の展望

歴史的意義

日本の医学教育における外国語教育(英語・ドイツ語・ラテン語など)は、過去150年以上の医学発展の中で重要な役割を果たしてきました。明治期にはドイツ語習得が西洋医学導入の鍵となり、それによって日本は欧米の先端医療知識を迅速に吸収することができました。ドイツ語を介してもたらされた知見がなければ、日本の近代医学の黎明は大きく遅れた可能性があります。当時の医学校でドイツ人教師から直接学びドイツ語文献を読んだ世代が、日本における医学用語の確立や教科書の編纂を行い、医学教育の基盤を築きました。例えば解剖学などの分野で、日本語の人体部位名称を定めたのは明治期の医学者たちですが、彼らはラテン語・ドイツ語の国際用語を参照して命名を行っています。その結果、日本の医学用語は国際標準と概ね整合したものとなり、これも外国語教育の賜物と言えます。

さらに、外国語教育は医学者の視野を広げ、国際的な人材を育成する意義もありました。森鷗外のように多言語に通じた人物は、医学のみならず文学や行政の分野でも活躍し、日本の近代文化に影響を与えました。医学部における第二外国語習得は、単なる語学の勉強に留まらず、西洋の文化・思想との架け橋となり得ました。これは「和・漢・洋の学問を修め、複数の言語を習得した」森鷗外の青年期にも象徴されています。医学の翻訳書出版や海外論文の紹介など、外国語に通じた医師たちが果たした知的交流の役割は計り知れません。

戦後に英語が主流となってからも、外国語教育は医学の国際化を支える柱でした。高度成長期以降、多くの日本人医師・研究者が海外の学会で発表し、留学して研鑽を積みましたが、その基盤に大学での英語教育がありました。英語論文の読み書きやプレゼンテーション能力を若いうちから養えたことが、日本の医学研究が国際舞台で評価される一因となっています。一方で、ドイツ語教育を受けた世代がいたからこそ蓄積された知的財産もあります。例えば戦前からのドイツ医学書の日本語訳は戦後もしばらく教科書として使われましたし、現在でも医学史研究では当時のドイツ語資料を読む力が求められます。このように、多言語的素養は日本の医学の厚みと国際競争力を高めてきたと言えるでしょう。

現在と今後の展望

現在、医学部教育における外国語の位置づけは転換期にあります。英語偏重が進み他の言語の存在感が薄れている一方で、新たな価値観も生まれています。グローバル化した医療界では、英語は事実上必須の技能であり、これを強化する動きは今後も続くでしょう。多くの大学で医学英語の教育(医学英語論文の書き方、国際学会発表練習など)が拡充され、英語で医学知識を学ぶ科目(例えば兵庫医科大学の「英語で学ぶ臨床推論」)も導入されています。この流れは、将来海外の最新知見を効率よく取り入れたり、日本発の成果を世界に発信したりするために不可欠です。

しかし同時に、多文化・多言語対応力の重要性も再認識されています。医療現場を見ると、国内でも外国人患者への対応が増え、地域によっては特定の言語圏の住民が多く住むケースもあります。例えば群馬大学医学部では地域のブラジル人住民の存在を踏まえポルトガル語を第二外国語の選択肢に含めています。将来的には中国語やスペイン語など、患者コミュニケーションに直結する言語を教える意義が増すかもしれません。また国際医療協力の観点からも、多言語の素養は役立ちます。災害医療や国境なき医師団のような場では、現地語や公用語(仏語など)の知識が問われる場面があります。医学部教育でも、学生を国際保健活動に参加させるプログラムや留学制度を通じて、語学力・コミュニケーション力を養う試みが広がっています。杏林大学のように多数の海外研修機会を設けるのもその一例です。

教育手法の革新も見逃せません。日本医科大学の「世界の言語と文化」のように、一言語を深追いせず複数言語のエッセンスを教える授業は、グローバル教養を身につけさせる新しいアプローチです。このような授業を通じて、将来国際的な場で活躍する医師としての多文化理解力を育む狙いがあります。語学は単なる言葉の習得ではなく、その背後の文化・歴史の理解につながるため、医学の人文的素養として価値があるという発想です。今後は、このような言語教育と国際教養教育の融合も一層進む可能性があります。

一方で現実問題として、医学部のカリキュラムは6年間で非常に過密です。解剖学、生理学から臨床実習まで詰まっており、語学に割ける時間は限られます。そのため奈良県立医大のように英語一本に集中することで他を省く動き や、千葉大学のように第二外国語を事実上オプション化する動き は、今後も増えるかもしれません。学生側から見ても「将来使わない第二外国語より英語や専門科目に時間を割きたい」という声は根強く、大学がそれに応える形です。ただし、その一方で「大学生として幅広い教養を身につける機会を減らして良いのか」という議論もあります。医学は科学であると同時に人間を扱う総合的な学問でもあり、多様な言語・文化への理解は医師の人間性を豊かにするとの指摘もあるからです。

将来の展望としては、英語を核としつつ選択的に他言語教育を組み込むハイブリッド型が主流になると考えられます。例えば英語は6年を通じて継続的に訓練し、第二外国語は各大学のポリシーに応じて選択必修または自由選択で1年程度学ぶ、といった形です。選択言語も、引き続きドイツ語・フランス語は提供されるでしょうが、大学によって中国語、スペイン語、ポルトガル語、アラビア語などのニーズに応じた言語を加える動きがあるかもしれません。実際に群馬大学(ポルトガル語)や熊本大学(ヘブライ語まで提供) のような例も出始めています。さらに、オンライン教材や留学生との交流を通じて自主的に多言語に触れられる環境整備も進むでしょう。

最後に、外国語教育は国際的な医療人を育成する鍵である点を強調したいと思います。医学はグローバルな知の体系であり、語学力はそのまま情報収集力と発信力につながります。日本の医学部がこれまでドイツ語、そして英語を重視してきたことは、結果的に日本の医療水準を世界トップクラスに引き上げる原動力の一つとなりました。これからの時代、英語はもとより、多様な言語や文化への理解を持った医師が国際医療協力や研究で活躍する場面が増えるでしょう。外国語教育の歴史を踏まえ、その意義を再評価しつつ、新たな形で発展させていくことが求められています。日本の医学部教育は、伝統の上にあぐらをかくことなく、時代の要請に応じて柔軟に語学教育をアップデートし続けていると言えます。その蓄積が今後も日本の医学界の国際的プレゼンスを支える基盤となるでしょう。


【参考文献・出典】

  • nippon.com(森鷗外に関する記事、日本語版)
  • 日本医科大学『外国語カリキュラムの新機軸について』報告(2020)
  • 防衛医科大学校の語学単位に関する記述
  • グリットメディカル医学部予備校サイト「全国医学部の第二外国語選択傾向」(2025)


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