医学部専門個別予備校

川崎医科⼤学医学部医学科 合格者インタビュー

楊明蘭(仮名)さん合格インタビュー

  • 川崎医科⼤学医学部医学科 正規合格 ⼊学
  • 北⾥⼤学医学部医学科 補⽋合格

○医師を⽬指すきっかけ

楊明蘭さんさんが初めて「⼈助け」をしたのは⼩学4年⽣のときだった。遠⾜に出掛けた先の奈良公園で、⿅に追突されて中年の⼥性が倒れた。⼈が集まってきたが、中国からの観光客らしく、誰も⾔葉がわからない。近くに同⾏者らしき⼈もいない。みんなが⼾惑っているなかで、楊さんが思い切って話しかけた。

「⾝体不要紧吗?(⼤丈夫ですか?) 」

楊さんの両親は中国国籍で家庭では中国語で会話していたから、⽇常会話なら不⾃由なく使える。それから救急⾞が到着するまで、楊さんは彼⼥のそばにいた。

困っている⼈を⽀えて役に⽴つ……これがまだ⼩さい楊さんにとって、⼤きな経験になった。

医師に憧れを持つきっかけは、⼊院だった。難しい医学⽤語がわからず右往左往する両親に、⽇本⼈の担当医師は粘り強く、親切になんども説明を重ねてくれた。

そして楊さんに笑顔で接して、不安を払拭してくれた。すっかり担当医のファンになった両親は、

「あなた、将来は⽇本で医師になったらどう?」

と勧めるまでになった。献⾝的に患者につくす⽇本の医師の姿に感銘を受けて、社会的地位が⾼いとか、収⼊がよいとかではなく、そういう「他⼈の役に⽴てる⽴派な⼈」に娘になってほしいと願ったのである。

○浪⼈して⼤事にしたこと

⾼校1年ではっきりと医学部受験を決意し、予備校に通いながら挑戦したが、現役では希望は叶わなかった。

敗因はなにか。

「計画的に勉強が進められなかったことです。得意な英語は⼤丈夫だったんですが、苦⼿な化学の理解に時間がかかり、結局、参考書を最後までできることなく試験本番を迎えてしまいました」

楊さんは「浪⼈⽣にとってまず⼤事なのは勉強のスケジュール管理」だという。

「⾼校⽣のころって、学校の定期テストや模擬テスト、⼩テストなどをルーティーンの学習環境があり、⾃ずとそれなりに学習管理できるんです。でも浪⼈⽣は全てを⾃分でしなくちゃダメ。私は時間にルーズなところがあるので、そこが悩みでした」

浪⼈して⼤⼿予備校に通ったこともあったが、「⾃分には合わない」と感じた。

「⾼校と同じ⼀⻫授業で、授業の終わりに講師の先⽣のところにいって質問するのに気後れしてしまいました。講師室にいってももう帰られていて……とにかく先⽣がすごく忙しいんです。⾃分のわからないところが解消されず、むしろ疑問が積み上がっていく印象でした」

○教科別の勉強の進め⽅

そこでグリットメディカルにやってきた。グリットメディカルでは⼩論⽂以外ではオリジナルの教材は使わない。

楊さんが今までやってきた化学の参考書を並べると、講師が選んだのが、旺⽂社の「化学 基礎問題精講」だった。

「これはとてもいい参考書なので、7 ⽉までに 2 周しましょう」

という講師のアドバイスに、「4 ⽉から 3 カ⽉の⽬標をはっきり決めてもらって、勉強の先の⾒通しがたってクリアーになりました。基礎中の基礎をやるので、2回やることで化学がめっちゃわかるようになりました。川崎医科⼤学の⼊試も 8 割以上とれました」

ちなみに「参考書を繰り返す」ことは⼤事だが、楊さんは科⽬別に繰り返し⽅を変えた。たとえば化学は⼀冊丸ごとやり終えてから、また最初に戻って繰り返す。⼀⽅⽣物は、ある程度の単元が進んだ後に 2、3 ⽇置いてから、また単元の最初に戻った。

「化学は前半の基礎的なことが後半の応⽤的な部分にも繰り返してくるので、⾃ずと前の単元の復習につながるからです。⽣物は単元ごとに覚えることが変わってくるので、記憶の定着のために 2 つ 3 つの単元ごとに繰り返すようにしました」

英語は塾⻑の掛⾕先⽣の授業を受けられたのが⼤きかった。

「他の塾で英語を医療系学部の現役の⼤学⽣の⽅から教わったんですが、深い⽂法になると『わからない』と返されました。専攻じゃないので仕⽅ないと思うんですが……英語は掛⾕先⽣のような⼤学で専攻されていた講師の⽅がいいと思います」

⼩論⽂の授業は医療問題など初めて知ることが多く、改めて医師という仕事の奥深さ、⾯⽩さを知ったという。⼩論⽂の授業はオリジナルのレジメを使⽤し、毎週の授業で課題と添削を⾏う。

「⼤⼿予備校だと毎回の添削がなくて不満だったので、添削してもらえるのが魅⼒的でした。医療分野の制度や概念も初めて知ることが多く、EBM(科学的エビデンスに基づく治療)、NBM( 「物語」に基づく治療)など初めて知りましたし、川崎医科⼤学の⼩論⽂ではこの概念を使って書くことができました」

○予備校選びは「評判より⾃分に合うか合わないかがめっちゃ⼤事」

楊さんの現役時代の勉強のもうひとつの反省点は、「わからないことをわからないと⾔えなかったこと」だった。

「わからないことを質問して、それでもわからないときに重ねて聞くのって恥ずかしかった。とくに応⽤に⼊っているのに基礎的なことをきいて『え、こんなのもわからない?』とか⾔われたこともありました。それで『わかったふり』をしてしまいました」

グリットメディカルではそれができるようになった。

「個別指導でどの講師も⽅も親切で、疑問点は遠慮せず聞けるのが良かったです。あと⾃分が気づいていない弱点を指摘して、 『このプリントやろうか』とか勧めてくれたり、授業内容をカスタマイズしてくれたりするのも良かった。

⼤⼿予備校だと『ついて来られる者だけついて来い』みたいな雰囲気でしたから。浪⼈⽣は予備校の評判の⾼さを気にすると思いますが、⾃分に合うかあわないかがめっちゃ⼤事やと思います」

○逃げ出したいときも……

1年間の浪⼈⽣活の中で、もっとも⾟かったのは 10 ⽉ころだという。

「医学部受験は 1000 ⼈以上いる受験⽣が⼀次試験で 400 ⼈になり、⼆次でその中の 300 ⼈がバサッと切られる厳しい競争です。それに耐えられるのか。⼆浪してまたこの苦しい環境を続けるのか。精神的にフラフラになりました」

楊さんの家族・親族に医師はいない。だから逆に「医師になりなさい」というプレッシャーもない。お祖⺟さんから「他の学部でもいいんじゃないの?」という⼼配した声も届いた。

「最終的には⺟と塾⻑の掛⾕先⽣から『ここまで来たんだから、最後まで医師志望を貫いては』のアドバイスが背中を押してくれました。講師の先⽣と勉強とは関係ないおしゃべりもできたし、勉強だけでなく気持ちの⾯でも楽しい塾でした」

○将来の医師像を描く

いま楊さんは⼊学の準備に追われている。描く将来の医師像はなにか。「患者さんを全⼈的に……」と⾔いかけて彼⼥はやめ、ちょっと上を向いて考えたあと、笑顔になった。

「簡単にいうと、マジで、患者さんが気楽に接してくれるような医師になりたい。お話しすることが好きやから、患者さんと⼀緒に考えていく、なんでも話してくれて、それに対応できる医師になりたいです」

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