目次
私立医学部と研究医育成の現状
日本の私立医学部は近年、研究医(医師科学者)の育成に力を入れるようになっています。背景には、従来私立医学部が学費の高さゆえに裕福な家庭の学生が多く、卒業後は経済的理由から臨床医に専念する傾向が強かったことがあります。しかし現在、国公立医学部に匹敵する優秀な人材を確保して研究力を高めようとする動きが私立にも広がっています。
順天堂大学は2008年に6年間の学費を約900万円も値下げし(約2,980万円→2,080万円)、その結果志願者が急増し偏差値が上昇するなど大きな効果がありました。この成功例もあり、私立医学部全体で学費負担の軽減や奨学金拡充によって意欲ある学生に門戸を開き、研究に関心のある人材を呼び込む戦略が進んでいます。学費面だけでなく、在学中から研究に触れる機会や医学研究者としてのキャリア支援を用意する大学も増えており、国の研究力強化政策とも歩調を合わせています。
以下では、特に藤田医科大学が5月29日に発表した学費大幅値下げの背景を掘り下げ、他の主な私立大学の研究医養成施策を比較します。学費、奨学金制度、研究環境、キャリア支援策など、多角的な視点から各大学の取り組みを紹介し、さらに国の政策との関係や私立大学がなぜ今研究医育成に注力するのかについて解説します。医学部受験生や保護者の方にとって、進学や将来設計の判断材料となる情報をお伝えします。
藤田医科大学: 学費30%値下げと「研究大学」戦略の背景
藤田医科大学(愛知県)は、5月29日に研究医育成への本気に取り組んでいることを示す大胆な施策として、医学部の学費を約30%もの大幅値下げすると発表しました。
2026年度入学生から6年間の総額が2,980万円→2,152万円になり、全国私立医学部で4番目に安い水準になります。私立医学部の学費値下げ策としては画期的であり、その狙いは明確です。同大学は「研究大学を支える優秀な人材確保」を目的としてこの値下げを決断したと発表しました。
藤田医科大学は近年、研究面で大きな躍進を遂げています。
昨年度には文部科学省から「橋渡し研究支援機関」に認定され、さらに精神・神経領域の研究で「地域中核・特色ある研究大学強化促進事業(J-PEAKS)」に採択されるなど、全国トップクラスの研究大学として評価を受けています。
こうした研究環境を維持・発展させるには将来の研究者となる優秀な学生の存在が不可欠です。学長の岩田仲生氏も「学費を値下げすることで、これまで以上に優秀な学生が進学しやすい環境を整え、将来の研究大学の礎となる人材の育成に注力していきたい」と述べており、学費負担の軽減によって有能な人材を呼び込む意図を明言しています。実際、学費の高さのために国公立大学へ流れがちな成績優秀者が、藤田医科大学でも進学を前向きに検討できるようになる効果が期待できるでしょう。
これまでも藤田医科大学は、独自の入試制度や学費サポートによって意欲ある学生を後押ししてきました。
「ふじた未来入試」(総合型選抜)は、国公立大学医学部医学科に合格した場合のみ入学辞退を認めるというユニークな制度です。私立に合格後、通常であれば辞退すると多額の違約金や不利益が発生しますが、藤田では国公立に受かった場合は特別に辞退可能とすることで、国公立と藤田の併願者が安心して藤田に出願・入学できるようにしています。これは「本当は学費の安い国公立に行きたいが、万一落ちたときの滑り止めとして藤田に通う」という優秀層を取り込む作戦と言えます。
加えて、大学が連帯保証人となる低金利の「FUJITA学援ローン」も用意し、経済的な理由で進学を諦めないよう支援しています。学費30%減だけでなく、このようなローン制度により実質無担保での学費の融資が受けられるため、家庭の経済状況に関わらず優秀で意欲ある学生を受け入れる体制が整っているといえます。
以上のように、藤田医科大学は学費面のハードルを大きく下げる施策と研究大学としての環境整備を両輪で進めています。
国の大型支援事業に採択されるほど強みを持つ研究分野(精神・神経領域)がある同大学は、そのポテンシャルを最大限に発揮するため「人材」という基盤をさらに充実させようとしているのです。研究に興味がある学生にとって、藤田医科大学は経済的負担を従来より抑えつつ、先進的な研究にも携われる魅力的な選択肢となりつつあります。
慶應義塾大学: エリート学生の集結とMD-PhDコースによる研究人材育成
慶應義塾大学医学部は、私立医学部の中でも研究志向の教育で知られ、充実した奨学金制度とMD-PhDコース(医学博士課程との連携コース)によって研究医の育成に取り組んでいます。学費そのものも私立では比較的低水準(6年間で約2,242万円 )ですが、それ以上に優秀な学生への経済支援が手厚い点が大きな特徴です。
まず慶應では、医学部独自の「人材育成特別事業奨学金(合格時保証奨学金)」があります。これは一般入試の成績上位約10名を対象に、1年次~4年次まで毎年200万円を給付する大型奨学金制度です。4年間で総額800万円に達し、しかも給付型(返済不要)なので、入学金・授業料の多くを実質カバーできる計算です。2015年度に創設されたこの制度は、「全国から多彩な精鋭学生を集め、医学界のリーダーを育成する」ことを目的としており、入試合格と同時に奨学金の採否が決定するため、受験生が慶應医学部進学を選ぶ大きな材料になります。経済状況に関係なく成績だけで選抜されるため、地方出身で優秀な学生にも門戸が開かれており、慶應は学費の面でもトップクラスの受験生を惹きつけていると言えます。
さらに慶應医学部の目玉は、「研究医養成プログラム(MD-PhDコース)」です。医学科在学中に大学院博士課程の講義や研究に取り組み、医学部卒業後または在学中に博士号取得を目指すコースで、医師としての臨床研修と研究活動を並行して進めることが可能になっています。慶應ではこのMD-PhDコース選択者に対して、先述の人材育成奨学金に追加支給が行われる仕組みがあります。具体的には、5・6年次に各年最大100万円が上乗せ給付され、トータルで在学中に最大1,000万円(6年間)もの奨学金を受け取れるのです。医学部5~6年次は博士課程の研究も本格化する時期ですが、その間の学費や生活費を大学が支援することで、学生は金銭的な不安を軽減して研究に打ち込めます。このように経済面からphysician scientist(医師科学者)の育成を後押しする制度は、全国でもトップレベルの手厚さです。
慶應義塾大学医学部のこうした施策は、「優秀な人材を全国から集めて鍛え上げる」という強い意志に基づいています。福澤諭吉の適塾以来の伝統として全国津々浦々から秀才を集める精神が語られますが、現代の慶應医学部も奨学金制度を駆使して経済的ハードルを下げ、各地の精鋭が集う環境を作っています。またMD-PhDコースを通じ、研究マインドを持つ医学生に早期から高度な研究訓練を施し、将来の医学界・研究界をリードする人材育成を図っています。慶應病院や関連研究所には国内外で著名な教授陣も多く、在学中から世界水準の研究指導を受けられる点も魅力です。将来「臨床もしながら大学や企業で研究開発に携わりたい」という志を持つ受験生にとって、慶應の環境と支援体制は非常に恵まれたものと言えるでしょう。
順天堂大学: 基礎研究医養成プログラムと学費負担軽減の先駆け
順天堂大学医学部は、私立医学部の中でも研究医育成の先駆け的存在です。前述の通り2008年に大胆な学費値下げを行った大学であり、現在の6年間学費総額は約2,080万円と私立で全国第2位の安さ(2024年度)に位置します。学費負担を国公立並みに近づけた順天堂は、その後も志願者数・入学者の学力水準で好調を維持し、首都圏有数の人気校となっています。その順天堂大学が力を入れるのが「基礎研究医養成プログラム」です。これは基礎医学と臨床医学の両輪で、国際的な研究レベルを備えた医師を育てることを目的に発足した教育プログラムで、将来研究者となる医学生を1年次から特別カリキュラムで育成するものです。
このプログラムでは、医学部1年次から研究の基礎教育を行い、学部在学中の研究室配属や研究活動を強力に支援しています。大学側は学会発表や海外留学の費用支援も行っており、学生が在学中に国内外の学会で成果を発表したり、海外の研究機関で研鑽を積んだりする機会を設けています。さらに特徴的なのは、大学院博士課程修了後のキャリア支援です。
順天堂では、基礎研究医養成プログラムから大学院へ進み博士号を取得した人材について、助教(テニュアトラック教員)として採用するなど、研究者としての職を用意する取り組みを行っています。このように「入学からキャリア形成まで」一貫して研究志向の医師を支える体制は徹底しています。学生にとっては、「研究者になりたいが将来のポストが不安」という悩みに対し、大学がある程度の受け皿を示してくれる安心感があります。順天堂の卒業生を見ると、大学に残って研究を続けるケースのみならず、基礎研究で培った力を持って臨床現場に進むケースもあり、各方面で活躍しています。大学としては将来の医学研究を支える人材ネットワークを着実に築いていると言えます。
また順天堂大学には、このプログラムと連動した奨学金制度もあります。例えば「基礎医学研究者養成奨学金」は貸与型ですが、研究医特別選抜入試の入学者(毎年2名)および在学中に基礎研究医養成コースへ進むことを希望した学生(4年次以降)に対して支給されます。研究に本気で取り組む学生には大学が資金面でも投資する形で、博士課程進学時の学費負担などを軽減しています。また地方自治体との連携で、地域医療に貢献する医師枠の奨学金なども整備されています 。順天堂の場合、新潟県との地域枠協定による奨学金制度など。このように複数の奨学金を組み合わせ、研究志向の学生でも経済的理由で進路を諦めないよう工夫されています。
学費面において順天堂大学は、前述した2008年の大幅値下げが有名です。6年間総額で900万円以上も減額する決断は「医学部受験に大きな変化をもたらした」と評され、結果的に優秀な学生が多数集まり、大学の学風や研究力向上につながりました。首都圏の御茶ノ水という好立地や、順天堂医院の高い臨床実績(天野篤教授をはじめ著名な医師が所属)も相まって、学費の安さと教育・研究水準の高さを両立した順天堂の人気は根強いものがあります。
今や私立医学部の中で研究医育成のモデルケースともいえる順天堂大学は、「医師としての基本力+研究者としての創造力」を備えた医師を送り出すことで、日本全体の医学発展に寄与しようとしています。
東京医科大学: カリキュラムへの研究コース導入とグローバル人材育成
東京医科大学(東京都)は、従来は臨床教育に定評ある私立医大の一つでしたが、近年は医学部カリキュラムに研究志向の学生向けコースを組み込むなど、新たな取り組みを始めています。
特徴的なのが「自由な学び系科目」と称する選択科目群で、その中に「リサーチ・コース」が設けられている点です。このコースでは医学部在学中に基礎系の研究室に所属して実際の研究に取り組むことが求められます。学生は研究手法やサイエンスの考え方といった「研究者としての基礎」を大学の講義・実習に加えて学び、指導教員の下で実験やデータ分析などの経験を積みます。多くの学生が学内の研究発表会(医学会総会)や国内外の学会で研究成果を発表し、5~6年次までに論文としてまとめる実績も出ています。つまり、在学中に一通り研究プロジェクトを完遂する経験を積めるようカリキュラムが設計されているのです。
さらに東京医科大学は、卒業後の臨床研修と研究大学院進学をシームレスにつなぐユニークな制度を用意しています。医学部卒業後、全国の医師は原則として2年間の初期臨床研修(いわゆる研修医)に従事しますが、東京医科大学のリサーチ・コース履修者には、その2年間に社会人大学院生として大学院博士課程に在籍できる制度があります。しかも授業料は大学負担(免除)とされており、研修医として働きつつ並行して博士研究を進めることが可能です。このような制度は学生にとって非常に魅力的で、「医師としての臨床経験も積みたいが研究の道も諦めたくない」という人にとって理想的な環境と言えます。大学側も、卒業後に学生が研究から離れてしまわないよう橋渡しをしている点で、研究医育成の「隙間」を埋める取り組みになっています。こうした卒前・卒後を一貫した研究教育環境の構築により、東京医科大学は臨床と研究の両立を志す医学生を積極的に支援しています。
また、東京医科大学は入試段階から研究志向・国際志向の学生を選抜する工夫もしています。同大学の学校推薦型選抜(英語検定試験利用)では、「将来、医師・研究者として海外で活躍することを志す者」を募集要件に掲げています。この入試で入学した学生は、入学後に必ず「USMLE受験準備コース」(米国医師国家試験対策)または前述の「リサーチ・コース」を履修することが課せられます。つまり、グローバルに活躍する医師・科学者を本気で目指す受験生を高校段階で見出し、大学側がその才能を伸ばす特別プログラムに乗せる仕組みです。
英語力と学力に優れた学生が対象となるためハードルは高いですが、選抜された学生には在学中の海外実習や研究活動なども斡旋されており、文字通り「世界に通用する医師科学者」を育てることを目的としています。首都東京にある医学部として、国際的な舞台で活躍する卒業生を輩出することは大学の使命という位置づけなのでしょう。こうした研究・海外・地域医療・外科の4分野に特化した自由選択科目群を整備していること自体、東京医科大学の教育改革への意欲を示しています。研究の道に興味を持つ学生にとっては、自分の関心に合ったコースを選び専門性を高められる柔軟な環境と言えます。
なお、東京医科大学の学費は6年間で約2,984万円(2023年度時点)と私立医学部の平均程度ですが、上述のようなコース参加によって学内外の奨学金を得たり、大学院進学時の授業料免除恩恵を受けたりすることで実質的な負担軽減も可能です。
大学全体としては、2018年に不正入試問題で揺れた経緯もあり信頼回復に努める中で、教育内容の充実や透明性向上に力を入れています。研究医育成の取り組みもその一環と位置づけ、「時代のニーズに応える医学教育」を標榜しています。研究マインドと臨床スキルを兼ね備えた卒業生が増えれば、大学病院の医療水準向上や研究実績増加にもつながり、結果的に大学の評価向上にも直結するでしょう。
東邦大学: 経済支援策による門戸拡大と堅実な研究支援
東邦大学医学部(東京都)は、伝統的に臨床教育に強みを持つ私立医大ですが、近年は学費減免や奨学金を通じて優秀な学生の確保と支援に努めています。他大学のような派手な「研究医プログラム」こそ打ち出してはいないものの、経済的ハードルを下げる取り組みによって結果的に研究志向の学生にも学びやすい環境を提供しています。
東邦大学の学費は6年間で約2,580万円(別途諸経費約50万円)であり、私立医学部の中では中位程度の水準です。ただし注目すべきは、学費減免制度や学内奨学金の存在です。東邦大学医学部には特待生制度があり、各学年で成績優秀な学生(入学直後の新入生を除く)若干名に対して授業料の一部(年間最大100万円、在学中総額最大200万円)を減免する措置があります。成績上位であれば家計に関係なく授業料が減額されるため、勉学に励む学生への強いインセンティブになっています。また、大学独自の奨学金として「青藍会」(父母会)貸与奨学金や「東邦会」(同窓会)給付奨学金が用意されています。前者は無利子で貸与されるもので、後者は返済不要の給付型です。例えば、東邦会奨学金では毎年4月から1年間、月額5万円が給付されるなど、生活面の支えとなる制度があります。さらに、他大学と同様に日本学生支援機構の奨学金(第一種・第二種)も利用可能であり、多角的な経済サポートによって実費負担額を下げることができます。ある試算では、東邦大の各種奨学金を組み合わせれば6年間の自己負担額を約1,700万円程度まで圧縮できる可能性も指摘されています。
学費の面以外では、大学院進学時の優遇も見逃せません。東邦大学医学部の卒業生が引き続き東邦大学大学院医学研究科に進学する場合、大学院入学金が全額免除される制度があります。これは大学院医科学専攻(修士課程)から博士課程に進むケースなどで適用され、東邦大学で学部から大学院まで一貫して学ぶ学生を経済面で支援するものです。
この制度により、「学部卒業後に東邦大で研究を続けたい」と思う学生にとって障壁が低くなっています。東邦大学の附属病院も複数あり、研究医が臨床と両立しながら研究に取り組める環境(例: 臨床の傍ら院内で研究プロジェクトに参加、など)を提供しています。派手さはないものの、堅実に研究者を支える土壌があると言えるでしょう。
東邦大学の場合、「研究医養成」の看板こそ掲げていませんが、実際には教員による研究指導や学生の研究発表会の開催など基礎研究への取り組みはなされています。特に医学部5年次には全員が選択実習で研究室配属を経験する機会が設けられています。地道な取り組みですが、学生に研究の面白さを知ってもらい、希望者には卒業研究や大学院進学につなげてもらう狙いです。東邦大出身で基礎医学の道に進む者もおり、同窓会ネットワークによる情報共有やOB・OGからのメッセージ発信など、研究志向の学生を後押しする風土も育ちつつあります。今後さらに明確な研究医育成プログラムが整備されれば、経済支援策との相乗効果で研究者を目指す学生に優しい大学として注目度が増す可能性があります。
多様化する私立医学部の研究医支援
上記に挙げた大学以外にも、私立医学部はそれぞれ特色ある形で研究医育成に取り組んでいます。例えば帝京大学医学部では、公衆衛生学分野の研究医養成コースを設け、学部から大学院まで一貫して公衆衛生研究に取り組む学生を対象に「公衆衛生学研究医養成奨学金」を貸与する制度があります。この奨学金は①医学部・大学院医学研究科の一貫プログラム(公衆衛生学研究医養成コース)に登録し、学部1年からコースの活動に参加する意思がある者、②医学部卒業後に本学大学院で博士(医学)取得を目指す意思がある者、③博士取得後も一定期間公衆衛生の研究に従事する意思がある者、という厳格な条件付きですが、採用されれば在学中の学費支援が受けられ、条件を満たせば返還免除も可能となっています(将来にわたり研究職に就くことを事実上保証するようなものです)。このように特定分野にフォーカスして研究医を育てようとする動きも出ています。帝京大学は公衆衛生のほかにも、福島県と提携して地域医療研究に携わる医師を育成する枠を設けるなど、研究と地域貢献を結びつけた人材育成を進めています。
また日本医科大学や東京慈恵会医科大学、昭和大学などの伝統校も、研究医志望者への学内奨学金や、研究に専念できる大学院進学コースの整備を進めています。中には在学中に研究実績を積んだ学生を表彰・報奨金給付する制度を作った大学もあります。北里大学は感染症研究で世界的に著名な北里柴三郎博士の名を冠した大学として、基礎研究への強いコミットメントがあり、学部生の研究活動参加も盛んです。国際医療福祉大学医学部のように新設校でも、海外の医科大学と連携した研究インターンシップをカリキュラムに組み込む動きがあります。
私立医学部全体で見れば、約3~4割の医学部がMD-PhDコースを導入しているとの調査結果もあり、研究医養成はもはや一部の大学だけの取り組みではなくなっています。学生にとっては、自らの興味関心やキャリア観に合った大学を選ぶ余地が広がっていると言えるでしょう。例えば「がん研究に強い大学で学びたい」「再生医療の研究施設が充実している大学に行きたい」「海外留学支援がある大学を選びたい」など、希望に応じて情報収集する価値があります。
各大学でアプローチは異なりますが、「優秀な学生を集めたい」という動機と「集まった学生に研究の道を提供・支援したい」という方針は共通しています。学費減免や奨学金で入り口の敷居を下げ、入学後は特別コースや研究機会提供で将来の研究者を育てるという流れです。では、こうした私立大学の動きは国の政策とどのようにリンクしているのでしょうか。そして、なぜ今このタイミングで研究医育成に注力する必要があると認識されているのでしょうか。
国の政策との関係: 研究力強化と医師科学者育成の必要性
私立医学部が研究医育成に乗り出す背景には、国の高等教育政策・科学技術政策の影響が大きくあります。日本全体として近年、大学の研究力低下が指摘され、特に医学分野でも基礎研究者の減少や臨床と研究の分断が課題となっていました。そのため文部科学省や厚生労働省は、医学教育の中で研究者を育てる仕組みを強化するよう様々な施策を打ち出しています。
ひとつの柱は、文部科学省による研究大学群の形成支援です。2023年度から開始された「国際卓越研究大学」制度および「地域中核・特色ある研究大学強化促進事業(J-PEAKS)」は、世界水準の研究力を持つ大学や、特定分野で強みを持つ大学を集中的に支援する大型プロジェクトです。前者(国際卓越研究大学)は東大・京大など一部の限られた大学への包括支援ですが、後者(J-PEAKS)は私立大学や単科大学も対象に含まれており、日本の研究力を牽引する多様な研究大学群を形成することを目的としています。J-PEAKSでは「大学の特定分野の強みを活かし、他大学や企業と連携して社会課題の解決や国際展開に取り組む」ことが求められており、藤田医科大学のように医療系で突出した研究領域を持つ私立大学も採択されています。こうした国の支援を受けるには、優れた研究成果とそれを生み出す人材育成計画が不可欠です。結果として、支援対象になった大学はもちろん、これに続こうとする私立大学も研究者の卵をいかに育てるかに注目するようになりました。藤田医科大学の学費値下げはまさに、J-PEAKS採択を追い風に「研究人材確保」の戦略を具体化した例と言えるでしょう。
また、文部科学省は以前から医学部の定員増枠を活用した研究医特別枠の創設を進めてきました。具体的には医学部入試において、研究医志望者を対象にした特別選抜枠(いわゆる『研究医枠』)を設けるよう大学側に促し、入学後も一貫した支援を行う取り組みです。例えば東京大学医学部の「医学科学類」や京都大学医学部の「MD研究者育成プログラム」など、国公立では10年以上前から導入が進んでいました。
私立大学もこれにならい、順天堂大学のように研究医特別コースを入試段階から設けるケース、東京医科大学のように推薦入試で研究志向の学生を確保するケースが増えています。
文科省の調査では、大学医学部の37%以上がMD-PhDコース等の一貫プログラムを持つというデータもあり、政策誘導と各大学の自主的取り組みが相まって全国的な潮流ができつつあります。
さらに、博士課程修了後のキャリア支援として、日本学術振興会の特別研究員制度やポストドクター支援策に医師枠を設けるなど、「医師として臨床経験を持つ研究者」を育て定着させるための後押しも行われています。
厚生労働省も医師のキャリアパス多様化に言及しています。
従来、医師は研修後は臨床一辺倒になりがちでしたが、医師の働き方改革の文脈で「研修医の時期から大学院で研究を並行すること」や「医学部卒業後に研究の道へ進みやすくする環境整備」の必要性が取り上げられています。医師が研究に携わる時間を確保できるよう労務規定を見直したり、大学病院勤務医の評価に研究実績も加味するよう促したりといった動きもあります。
COVID-19パンデミックではワクチンや治療薬の開発で日本が海外に遅れをとった反省から、「医師主導の治験・臨床研究を活発化すべき」との意見も高まりました。優れた臨床能力と研究マインドを持つphysician scientistの必要性が、従来にも増して社会的に認識されるようになったのです。
こうした状況の中、私立医学部が「なぜ今、研究医育成に力を入れるのか」という問いには、大きく二つの側面で答えられます。
第一に、自大学の生き残りと発展戦略です。少子化で18歳人口が減少し将来的に受験生確保が難しくなる中、大学はそれぞれ特色作りに必死です。単に医師国家試験の合格率が高い、臨床実習が充実しているといった従来型のアピールだけでは埋もれてしまいます。そこで、「研究医育成」という切り口でブランド価値を高めたいという狙いがあります。優秀な受験生ほど「将来は研究にも関わりたい」「世界レベルの医療に貢献したい」という高い志向を持つ傾向がありますので、そうした人材に「うちの大学なら夢を叶えられる」と思ってもらうことが重要です。慶應や順天堂が良い例ですが、実績が蓄積すればOB・OGの活躍が宣伝となり、さらに優秀層が集まる好循環が生まれます。私立大学も競争が激しい時代、研究分野での実績やノーベル賞級の業績が出れば一気に評価が高まります。実際、私立出身の医学研究者で世界的に評価される人材も徐々に増えており、それに続く次世代を自前で育てようという機運が高まっています。
第二に、国の後押しを受けて実利を得るためです。前述の国の補助金事業(J-PEAKS等)に採択されれば、巨額の研究資金や設備投資が得られます。例えば藤田医科大学はJ-PEAKSで「世界トップレベルの精神・神経病態研究拠点形成」という提案が採択され、今後多額の資金が投入される見込みです。その資金を活かし成果を出すには、人材拡充が必要ですから、大学として研究者となり得る学生を増やすことは急務です。仮に思うように人材を確保できず研究力が伸び悩めば、次期以降の支援は打ち切られる恐れもあります。したがって、大学経営の視点から見ても「研究人材の育成」は重要なミッションとなっています。また一部の私立医大では、研究力強化の一環で寄付講座の新設や企業との共同研究などを積極化させており、こうしたプロジェクトに学生のうちから参加させるケースもあります。産学連携の研究では若手の発想やバイタリティが求められることも多く、学生発のベンチャーが生まれる可能性も秘めています。大学発ベンチャー支援策など政府のイノベーション政策とも連動し、私立医学部から新薬・新技術のシーズを出そうという動きもみられます。
総じて言えば、私立医学部が研究医育成に力を入れる動機は、「大学の使命」と「学生の将来像」と「社会の要請」が合致し始めたからだと言えるでしょう。かつては臨床医の育成が最優先でしたが、今や「研究のできる臨床医」を育てることが大学の評価や発展にも直結する時代です。学生にとっても、研究能力は医師としてキャリアの幅を広げる強みになります。患者さん一人ひとりを診療するだけでなく、研究によってより多くの人々を救う可能性が開けます。医療が高度化・細分化する現代、病院と研究所をつなぐ架け橋となる医師科学者の存在は不可欠であり、その養成に私立大学までもが本腰を入れ始めたことは日本の医学界にとって明るい兆しです。
受験生や保護者のみなさまへ
医学部受験生や保護者の皆様にとって、「私立医学部=学費が高い」というイメージは強いかもしれません。しかしここで見てきたように、藤田医科大学の思い切った学費値下げや各大学の奨学金充実策によって、私立医学部でも才能とやる気があれば経済的ハンデをかなり克服できる時代になりつつあります。
特に研究医を志す場合、大学側もあなた方のような意欲ある学生に来てほしいと願っており、様々な支援を用意しています。進学先を検討する際は、学費の数字だけでなく奨学金制度の有無、研究環境の充実度、先輩の進路などをぜひ比較してみてください。例えば、「5、6年次に研究コースに進むと学費援助が受けられる」、「在学中に海外留学できる制度がある」、「卒業後、大学院に進みやすい風土がある」といった情報は、各大学の公式サイトやパンフレットに記載があります。疑問があればオープンキャンパス等で直接質問し、自分の将来像にフィットする大学を見つけてください。
研究医の道は決して平坦ではありません。 医師国家試験や臨床研修と並行して研究を行うのは大変ですし、博士号取得まで通常より時間がかかる分、収入面の不安も付きまといます。しかし、大学や国の支援策が整いつつある今、そのハードルは徐々に下がっています。何より、「臨床で感じた疑問を研究で解明し、それを再び臨床に還元する」という医師科学者ならではの醍醐味は、他の職業では得がたいものです。
医学部在学中の早い段階で研究に触れてみて、自分に合うか確かめることもできます。今回紹介した大学の中には1年生から研究室配属できるところや、論文執筆まで経験できるところもあります。「医師+研究者」というキャリアに少しでも興味があるなら、そうした環境のある大学で学ぶ価値は大いにあります。
受験生の皆さんにとって重要なのは、情報収集と将来設計です。学費が理由で選択肢から外していた私立医学部も、調べてみれば手厚い奨学金で事実上国公立並みの負担になるケースがあります。ぜひ複数校を比較検討してください。保護者の方も、お子さんが「研究者の道も考えたい」と言ったときに前向きに応援できるよう、奨学金やキャリア支援策の情報を知っておくと安心です。
医学の世界は日進月歩であり、新しい疾患の解明や治療法の開発には医師であり研究者でもある人材が欠かせません。私立医学部がこうした人材育成に本腰を入れるようになった今、優秀な学生にとっては活躍のフィールドがさらに広がっています。「人の命を救いたい。しかし一人ひとりの患者を診るだけでなく、研究によって医学そのものを前進させたい」——そんな高い志を持つ受験生にとって、現在の私立医学部は力強い味方となってくれるでしょう。ぜひ志望校選びの視野に入れ、将来の研究医への道を切り拓いてください。
